twitterはじまりました。

twitter

個人的に、もう日常生活から切り離して考えることのできないツール、twitter。そこにはいろんな情報が待っていて、それらになんとなくぼんやりといつでもアクセスでき、世の中の気分を知ることができたり、言いたいことを広大なネットの海に放り投げ、自分もそのごくごく一部として世の中の気分を構成しちゃったりして時間をつぶすことができる。
ためになることを言うひと、笑えることを言うひと、何言ってるのかわからないようなことを言うひと、お金持ちなひと、貧乏なひと、東大のひと、浪人中のひと、無職のひと、変態..。
いろんな人がいて、それぞれにいろんな世界があり、それらを少しずつかじることができる。なんとまぁ、すてきな暇つぶしだこと。

先日、こういうものに出会った。

「最初にフォローした人から順に表示 Twitterオンラインツール」
http://tweetbuzz.jp/entry/2153064405/www.raky.net/t/s/





ちなみに自分でやったらこんな感じ。
http://www.raky.net/t/s/#tklt_05

主にニュース系のbot(自動投稿アカウント)が多い。
まぁ情報収集活動って言うのがメインなので、当たり前か。


もうかれこれ使い始めて二年くらいになるのだろうか。いつ頃始めたとか、なんで始めたとか、どうやって始めたとか、そういうのはあんまり覚えていない。
なんとなく記憶にあるのは2ちゃんねるでその存在を知り、調べてみればオバマ大統領がメディア戦略として用いていたり、津田大介先生なんかが本を書いていたり、そういえばどっかの歌手にヒウィッヒヒー?みたいな感じで呼ばれていたような気もする。
ともかく、なんとなく、始めてみたのだ。

アカウントを作成し、僕がまず始めに何をやったか。
とりあえずつぶやいてみた。フォロワーはゼロ。フォローもゼロ。「なにこれ、つまんね。」っていうのがファーストインプレッション。
今考えてみれば当然であるのだが、当時の自分はそれほどまでにどうしようもなく分かっていなかった。



そうして次にやったこと。放置。

ひたすらに放置した。自分が発したつぶやきとも言えないぼやき、どこにも、誰にも届かないそのひとりごとだけが存在するその空間を、僕は捨てた。




夏だった気がする。いや、夏かどうかは正確には覚えていないが、たしかこたつはなかったし薄着だった気がする。友人から一冊の本を借りた。それがさっきも言った、津田大介さんの『twitter社会論』だった、たしか。とりあえず、「twitterすごいんだよ。」っていうお話を読んだ。



むしろ大学生らしく部活/サークル、暇があれば旅行、部活関係で週4くらいで飲み会に参加し、基本オールで朝帰り、終電なんて乗ったことがなかったという感じで遊びに打ち込み、午前中の授業は全滅で(特に午前中に集中した第二言語のドイツ語なんかはほとんど行けず)とにかく大学生らしく遊んでいた僕は、今でこそ情報系にいたり進路が決まってはいたものの、当時は勉強ちんぷんかんぷんのダメダメなダメ野郎であった。もちろん今でも大してかわっていないけど。

でもその本を読んで「あー、これはすごいのかも。」なんて思っちゃった。たしかにすごい。こういう潮流はニコニコ動画でのVOCALOIDと草の根クリエイティブの盛り上がりで知っていた。
これからはマス的な上意下達式エンターテイメント創造や情報フローではなく、草の根のクリエイティブなんだ、みんながつながった今、そうなるんじゃないかみたいなことは確かに考えていた。
昔から機械好きの父の影響でパソコンやインターネットというものには触れていたので、ネットでの遊び方は大体わかっていたつもりだった。
そして、そんな自分にこうやって遊び場や、おもしろい出来事が用意され、生まれていくるインターネットに興味があった。
当時はyoutubeニコニコ動画にかじりついていたし、もう根っからのmixi民でもあった。


mixiはすごかった。
あれはすごかった。

たしか浪人中に、友人から突然不思議なメールが届き始めた。「招待メール」だ。
そのときは勉強に集中したかったし、っていうかネットで遊んでいて浪人が決まったようなものだったので、そんなもん始めてしまったらそれこそ元も子もないのできっぱりと断っていた。
そして晴れて大学生となり、たしか4月の半ばだったか。mixiに登録する。


mixiはすごかった。

いま、だれが、なにしてるのか、それが携帯でいつでも把握できた。
当時のmixiは、今で言う「ボイス」が実装される前だった。それでも革新的だった。
日記を書いて、リアクションがもらえる。コミュニケーションの起爆ができる。
見ろよこのコメント数!みんなと「お友達」することができる!!

その後、しばらくはmixi漬けだった。ちょうど10年くらい前のテレビ漬けに近い感覚だった。
「昨日のアレみた?」が、テレビ番組から、mixi日記やmixiニュースに移行していった。
それを肌感覚で、感じていた。



mixi
いまは一日に一度、見るか見ないか。
非常に鈍足なSNSと化した。いま、あれの使い方はよくわからない。
たとえば先日京都大学であったIVS(Infinity Ventures Summit)で、mixiの笠原さんはこんなことを言っていた。

http://jp.techcrunch.com/archives/jp20111207mixi-socialmedia-difference/

それでもあそこに自分がいく理由が見つからない。自分とほかのマイミクと形成するグラフに、もう限界がきたような気がする。



いま、何を見ているのか。
twitterか、facebookか、google+か。
リアルソーシャルのプラットフォームとして、facebookを用いる機会が増えてきた。
そして、情報収集/仮想日常のプラットフォームとして、twitterがすごい。


twitter
これができることは二つ。

1.140文字以内のテキストメッセージ(つぶやき)を発信(ツイート)する。

2.他人のつぶやきを表示する。




これでできることはいくつあるだろうか。
世の中には本当にいろんな使い方をする人がいる。
アカウントをとれば、もうそこは自分の世界。
思ったことをつぶやくのもいいし、考えたことをつぶやくのもいいし、思ってもいないし考えてもいないようなことをつぶやいても、誰にも怒られない!

たとえば学生が内輪で盛り上がるのもいい。リアルタイム/一覧性、そして豊富な外部サービス(主に使われているのは画像か)でコミュニケーションはぐっと加速する。
たとえば今日あったことを、ぐだぐだと垂れ流すのもいい。フォローする/しないなんて、とっても自由なので「嫌なら見るな」という本来なら暴力的な論理もここでは通用する。
そもそもそんなもんは(ありがたいことに)誰も読んでないし、被害なんて考えなくてもいい。

カンニング、飲酒運転、万引き、そういうのを告白するのもいいんじゃないだろうか。
もちろん炎上や通報はされるだろうが、別に禁止されている訳ではない。したければしてもいいんじゃないだろうか。
なるべくしないほうがいいとは思うけど。


自分もtwitterを使っている。主な使い方は大きく3つ。

1.情報収集
現在、iPhoneではtweetdeckを利用している。これは動作も軽く、なによりリストの概念が強くていい。
メインのタイムラインから横に指を滑らせればmentionが、その横には知人のリストがコミュニティごとにあり、その向こうにはニュースのリストが、また気になるハッシュタグでTLを構築し、話題を捕捉してある。いま数えてみたら、合計で11のリストをtweetdeckで管理していた。
この中で一番見るのは知人のリストと、ニュースのリスト。とくにニュースリストはどんどん充実させている。
もちろんtwitterですべてのニュースが補完できるとは考えていない、けれどもそこに近づけようとすることはできる。
おまけにこのリアルタイム性、メインのタイムラインでもそういうことに騒ぐ人を多くフォローしているので、世の中の”事実”と”解釈”が大きな視点で見られる。
事実だけ、解釈だけでは自分の意見や解釈というのは立ちにくい。いろんな人の話や考えを覗いてかじって吸収できるのは大きい。
アタマでっかちにならないように、気をつけなければだけど。



2.コミュニケーション
最近ほとんどメールを使っていない。どうも個人的にはひっかかりが弱すぎて、うまく生活に組み込めなくなった。たしかにメッセージのやりとりとして、メインステージに君臨しているのだけれど、いろんなところで「携帯メールの終焉」に関する声は聞こえてきている。そして結局それもtwitterに統合されつつある。メールはメールのためにしか時間を割けないが、twitterでの私信は、私信だけの意味に限定されない。空いた時間にスムーズに確認/送信できちゃう。この心地よさはヤバい。
たとえば本を読んでいる時にメールが届く。本をいったん横に置き、今読んでいたことを反芻しながらケータイに目をやる。受信フォルダを開き誰のどういうメッセージなのかを確認する。
それがどういった内容であれ、意識の中断が大きかった。また本に戻るのがちょっと大変な気もした。そのまんまになったりもする。
もはやメールは「あ、返さなきゃ」っていうものになってきた。
twitterにはゆるやかなグループメッセージ的な効果もある。リプライなんかは両者をフォローしている人間にも届く。一回入り込めばリプライテキストにアカウントが追加され、やりとりが届く。もうその必要がなければ@〜を消してその中から消えていくし、消えても結局やりとりがTLにいたりする。このやりとりとの距離感がまたいい。見てるようで見てないようで見てるようで見てないようで。情報が強制されないので楽ちん。こういったやりとりが、実にいい暇つぶしになる。困ったことにつぶれすぎて大変なこともあるのだけど。
これはリアル知人に限った話ではなく、うすらぼんやりとした人間関係をバーチャルから構築できることもある。おもしろい。



3.ライフログ
自分のアカウントのtwitpicやinstagramを見てみると、驚くべきごはん率を誇る。特にラーメン率すごい。もはやラーメンのためのinstagramみたいに見えてくる。
まぁ、それは写真の話であって、twitterを使っていて、そこに積もるのはなにも画像だけではない。
"じぶんのことば"が降り積もる。たとえば去年のちょうど今の時間、自分が何をどういった風に考えていたか、覚えているだろうか。
たぶん覚えてない。覚えてる人がいるとしたら、すっごい記憶力がいいか、この一年で全く成長してないか。すごい記憶力あったらこんなどうでもいい記事なんか読まずに、なんかすごいことに貢献してほしいです。
とにかくtwitterの恐るべき点は、その手軽さであって、生活密着度。思考の密着度とも言ったらいいかな。
これはライフログや思考メモなんかにいい。twitterそれ自体/単体でもいいんだけど、外部サービスである「twilog」や「twieve」等を使うともっとすてきなことになる。

たとえばtwilog。(http://twilog.org/ )

結論から言えば、いますぐ連携させた方がいいよ!っていうくらいおすすめだしお世話になってる。
「就職活動でめっちゃ助けられた!!」とでも言えばひっかかるかな。でも事実、ESのアイデアや面接のネタでは過去の自分に相当助けられている。
これは無料のサービスで、ただひたすらに自分のツイートを記録し続けていくサービス。しかしその真価を発揮するのは「検索」の機能。
これがあると何ができるか。たとえば去年の今日は何をしていたか、何を考えていたか、誰といたか、何を食べて、何を見て、何を思っていたか。
(もちろんそれらを普段からアウトプット、ツイートしておく必要はあるけど)それを知ることができる。過去の自分の、生の声が聞けてしまう。
「就職」とか、「考え」とか、そういう検索ワードを打ち込んで、過去の自分の声を聞く。めちゃくちゃ便利。
「なるほど」で検索すれば、過去の納得に会いにいけるし、「なんで」で検索すれば、今は忘れてしまったかもしれない昔の切り口が見えてくる。
自分のほぼ外部記憶として使える。しかも検索機能に限定して言えば、人間のそれより正確でスピーディである。
脳みそ(正確に言えば記憶の部分だけど)がもう一個増える。これはすごい。さすがのジャパネットも記憶能力はもう一個つけてくれない。



この3つが、主にtwitterに張り付く理由だ。情報収集がほとんど7割くらいだけど。


なんでいきなりこんな記事書いちゃったのか。それは冒頭の「最初にフォローした」っていうものをやってみて非常に懐かしくなったのと、いまの情報環境が構築されていることに関して"そういえばなんでだっけ...?"みたいなものがアタマの中で大量生産されたからだ。
そしてもうひとつ。僕が4年間所属している大学のコミュニティで、ついに、新しい世代がmixiから消えつつあるからだ。
いま、彼らはtwitterにいる(mixiにもいる人もいる)。もしかしたら勘違いなのかもしれないけど、どうやら徐々にコミュニケーションの活動場所は移りつつある。
マイミクの申請なんて、いつ以来だろうか。さらにメールアドレスの交換も、いつ以来だろう。
そういう出来事が目の前で、起きてしまっている。ひとつのコミュニティの、ひとつのたまり場として成立した。
それも、パソコン?ネット?よくわかりません...みたいな、(言い方は悪いかもしれないけど)実に一般的な層の間で。
なんだかすごいなぁ、とぽかんとしてしまった。そして彼らはどんどん使い方を吸収して、今日もtwitterにいる。


どう使うか、ということまでは言及しないけど、使うのであれば便利で役に立つものとして使ってほしい。
そして間違いなく、炎上だのSNS疲れだのそういっためんどくさいものにならないことを願う。


いま注目している新参層は、おもにリアル知人とのメッセージのやり取りに使っているみたい。
外部を自分のTLに入れることができるかどうか。これがなかなか難しい。
ただ、外部からしか知り得ない情報も確実にある訳で、そこへのアプローチとしてtwitterは有効な手段となる。
ガラケー(ぱかぱかするもしもし)でも、twitterは使えないことはないが、最近スマートフォンを持ってる人も増えてきたので、これを機にちょっと便利にしてみるのに挑戦してもいいんじゃなかろか。
Twitterアプリも別に公式を使わなくてもほかに便利なものがたくさんある。自分ももともとtweetdeckに落ち着いていたので使っていなかった。
もし勧めるなら、いつもteeweeをおすすめしている。これは見た目も機能もごちゃごちゃしていなくて使いやすい。



どんなひとをフォローしたらいいんですか、って。
上で紹介した自分の初期フォロー(http://www.raky.net/t/s/#tklt_05 )でいうと
初期はニュース系のbotや便利情報のbotのフォローをしておくとすてきに便利。

たとえば
朝日新聞http://twitter.com/#!/asahi )
毎日jp編集部(http://twitter.com/#!/mainichijpedit )
共同通信非公式(http://twitter.com/#!/47news )と、その速報のみ(@47newsflash )
天気については(http://twitter.com/#!/tenkijp )
中央線快速の運行情報(http://twitter.com/#!/JR_ChuoKaisoku )なんていうのもあるし、
もちろん京王線http://twitter.com/#!/train_ko )もある。
buzztter(http://twitter.com/#!/buzztter )はtwitter上で話題のワードを教えてくれるし、
話題っていう意味ではRetweeter (http://twitter.com/#!/retweeterjp )もトレンドを追ってくれる。
そのほか、気になる分野の情報ソースとなるアカウントを自分で探して、ほいほいフォローしておく。
この"ほいほい感"が大切。

気になったら”ほいほい”。

とにかくリアルタイム性っていうのを活かすのであれば、やはりこういったニュースやトレンドのように鮮度が命なものと相性はいい。
さらにジャンルごとになると、流れの速いITなんかの話題も結構早く、まとめて拾えるので相性がいいように感じる。
就職活動に限った話ではないけど、世の中についていく必要を感じるのであれば、忙しくてニュース番組や新聞に触れなくとも(触れておいた方がもちろんいいけど)、
こういうチェックの仕方もあるよね。っていうハナシ。

そんな感じに思いました。
おなかが減ったのでこの辺で。

以上。

「ロジカル」とかいうやつ。

最近どういうわけか知らないが、人に向かって偉そうに何かを教えたり、相談される機会が増えてきた。とてもそんな人間じゃないのだけど、増えてきた。
高校2・3年生には大学受験を、大学3・4年生には就職活動に関して。それぞれ面談やメール/電話等での相談室みたいなことを時々している。

大学生活の入口と出口、そういうタイミングにいる人々に接していて、感じたことがある。

それは「ロジカルであること」に関して。

ロジックってなんやねん。ということについては簡単にすませたい。
論理と同じ意味。とある主張が相手を納得させるための道筋である。
基本的にひとの主張はツッコミどころ満載である。
ツッコミの方法はいわゆる5W1Hをはじめとした疑問文。これらをその主張にぶつけていく。

たとえば、ジブリ映画「もののけ姫」で、アシタカはサンに向かってこう言う。


「生きろ、そなたは美しい。」



と。


この台詞(=主張)には

なんで美しいと生きなければならないの?
そもそも美しいの?

といった疑問が浮かぶ。至極当然である。
ここでは一シーンから抜き取ったのだからそういう不鮮明なところがあるのは仕方ないけど、それにしてもツッコミどころ満載なひとこと。
でもそれを回避するために映画ではその疑問の答えを「物語」というかたちで解消している。だからこの一言はすばらしい。みんな納得する。アシタカ△ってなる。サンも生きちゃう。
主張の正当化、相手を納得させるにはその主張の説得力を強化するデータ、説明責任が伴う。
そんなところ。


大学生活への入口、大学受験。そこで何が問われるか、ということはもう散々出尽くしているので割愛するけれども、大きく分けて「暗記/知識系」でない方で何が問われているか。
それは「ロジックの読解力」なんじゃなかろうか、とか最近は思う。国語はもちろんのこと、長文が中心に出題される英語、世界史や日本史の記述部分でも問われてくる。
ロジックというひとつのルール、流れ、そのなかで論理的に妥当な選択肢を選ぶ(記号問題)/構築する(論述問題)作業が、要するに大学受験なのかもしれない。論理的な構造を、自分の中に持ち込んで、それをひも解き、「理解できてますよー」というのをアピールする。
その材料というか、付け合わせで同時に知識や暗記項目なんかも試されてくる。そんな気がする。数学に関してはノータッチなんですごめんなさい。



そして大学の出口、就職活動でも、実は論理的思考力とか、そういったロジカルな能力の有無が問われていたりする。
面接官や人事が見ているのは、実はその人の学生時代の輝ける歴史ではなく、そのひとが説得力を持つか否か、なのだという。これは自分も人事企画なんていうところに顔を出してて感じたし、お世話になっている人材業界関係の方々や人事の方が口を揃えていっていた。今更語るべくもあらずそんなことは至極当然で、たとえばサークルの代表だったり学生団体でなんちゃらしていても、社会人になって同じことをするかといえばそんなことはほとんどない。サークルの運営も、社会人になったら(あんまり)ない。むしろそのサークルの運営で培った能力を活かして行きたいところなのは想像に難くない。ぼくらが内定を頂いて4月からなるのはたぶん営業とか、事務とか、エンジニアとかだ。企業は「すごい学生」ではなくて、「優秀な労働力」がほしいのである。もちろん、学生時代の活動がそのまま仕事に結びつく者もいる。けど、それはごく一部の話。
っていうか実際、学生生活で何をしてきましたか。ぼくはそこまで企業に対して自分の学生生活に誇れるものを持っていません。世界一になったことはたぶん一度もないし、日本一もまだない、都内一とか大学一っていう実感もないし実績も多分ない。もし仮に万が一、億が一あったとしても気づいていないので自己PRには使えないじゃん。無意味。だからこういうことは問われる項目として学生にしても企業にしても効率が悪い。
むしろ社会人として、仕事をする上で大事なのは説得力。これ。企業はわかっている。学生はどうなんだろう。相手を自分の思い通りに動かすチカラ、これが欲しい。特に営業なんかは自分の会社のモノを売ってナンボのもん。買わせるっていうチカラが必要。お金を稼がないといけないのだから。ある種、相手の財布を開かせるゲームなのかもしれない。

そうでなくても学生のピヨピヨなコミュニケーションロジックと社会人が仕事現場で使うそれはまったく別物。

「昨日のアレみた?」
「見た、チョーヤバくね?」
「っしょ、チョーヤベぇ。」

なんていう会話じゃだれもお金なんて払ってくれないのである。でも気がついたらこういうやりとりしがちである。
なんせ居心地がいい。相手が自分の言いたいことをわかってくれるし、面白いこと、面白くないことの基準が同じで、いちいち変換したり考えなくていい。でもこれじゃいかんのだよ。っていうのをまざまざとぶつけてくれるのが就職活動とかいう数々の試練である。

つじつまあわせ、というか、とにかく異なるルールや状況、主張をあるひとつの確からしい流れや規則に則って統合し、操作する。そういう能力が大事なのだよと。
それが大学卒業レベルで問われるロジカルであるということ。


大学に入る前は、ものごとの流れの大枠や外枠、フレームをいかに把握できるか、そして受験校のレベルが高くなればいかに操作できるかが問われていた。

大学を出る頃には、そういったものごとの流れの大枠や外枠、フレームをいかに把握した上で操作できるか、ようするに説得力を持つかが問われている。
(もちろんそれだけではないが。)


なんだか面白いなぁと思った次第である。
大学にもうかえれって言われたからこの辺で切り上げちゃう。

以上。

新生活のデザイン

なんとまあ、早いもので今年もあと一ヶ月とちょっと。最近は肌寒いを通り越した寒さで、そろそろ冬服たちもウォーミングアップを始めているところ。
それこそついこの前までは暑いなあとか、今年は秋がなかった、なんて話をしていたもんだから時が経つ早さ、季節の移り変わる早さに戸惑いを隠せません。

僕は大学生なので、夏休みが9月の後半までありました。その後、ロスタイムとして結局10月まで休暇(僕にとってはもちろん毎日が試合でしたが)を楽しんだ訳ですが、それももう一ヶ月半前。
ものごとを思い返すのに50日前後というスパンはいいのかもしれません。

さて、この「一ヶ月半」があと3回もくると、今度はいよいよ新年度な訳です。
いま大学四年生として学生をやっていますが、来年度からはありがたいことにお仕事をいただけたので、会社での業務に尽力する次第であります。※ただし卒業できればのハナシ。
そんなこんなで、いま大学四年生にとっては、むしろ新年よりも新年度の方が重大だったりしていると思います。
ながいながい学生という期間を終えて、今度は社会人として社会に出て行く訳であります。ぼくも不安と緊張と期待と野心で大変なことになっています。

ところがどっこい、不安と緊張と期待と野心とで、そう簡単に社会人生活がスタートできるわけでもありません。
そろえるべき準備はたくさんあり、その一つに「住」があります。住処ですハイ。
自分も四年間東京都は世田谷で一人暮らしをしてきましたが、心機一転引っ越して新生活を始めようと思っています。


でもまぁいきなりそんなひっこすなんて言ったって何をどうすればいいのかわからない...なんてことになりますよね!なりますよね!僕はなってます!
というわけで「新生活のデザイン」とでもいいますか、そういうのに便利そうなコンテンツをゆるくいくつかまとめていきたいなぁとか思います。
あくまで自分用な感じです。


0.「自分」

いきなりこれかよ、と言われるかもしれませんが、実は見落としがちで一番大切な要素ではないでしょうか。なんだかんだ住むのは自分。
今まで一人暮らしをしていれば、そこで暮らしていて気に入っている部分、気になった部分をまとめておくのはとても大切。自分も今これをやっている段階です。最終的に決めるのも自分だし住むのも自分。すべての情報は参考として用いるべきです。


1.「家を借りたい、引っ越したい人のための賃貸物件探しチェックリスト」
http://ushigyu.net/2011/11/16/moving_checklist/ (@ushigyu さんのブログより)

部屋編、物件/周辺環境編、金銭編、手続編と、それぞれわかりやすく分けて書いてあります。非常に参考になります。
どれも見落としがちだけど、なんだかんだ住みつくと気になる項目ばかり。基本的なチェックリストはこちらを参照してます。


2.一人暮らしの人色々教えてくださいまとめ
http://www13.atwiki.jp/hitori_gurashi/

完全に引っ越し初めて、物件探すの初めて、一人暮らしこわい><みたいなときはここですかね。本当に親切になんでもかんでも情報が集まっています。基本に忠実なだけに、最後の最後で見直すと、ヌケ・モレ対策によさそうです。


3.新社会人、はじめての一人暮らし完全ガイド(SUUMO)
http://suumo.jp/edit/chintai/fleshman/110316/

いまや物件探しメディアとして認知度も高くなってきたリクルートさんのSUUMOコンテンツ。それのフレッシュマン向けの特集だそうです。
確かに気になる、微妙に手の届かなかった項目にズバっと「他の人はこうなんですよ!」みたいなのが書いてあるのは、信憑性はともかく、一つの指針になるので助かります。
いろいろ項目にキーワードを打ち込んでそのまま物件の検索もできるようですが...どうなんでしょう。僕は別のところで探します。

また、さらに他の人のデータが気になる人はこちらにもまとめてありました。

http://suumo.jp/edit/chintai/survey/091014/
(20代社会人シングル男女の一人暮らしデータ)

やはり社会人となって大きく変わるのは生活面だけでなく、金銭面。これにより生活がどう変化していくのかをある程度考えた上で新生活をデザインしたいもんです。



さて、続いては家、部屋の中で生活機能を支えてくれる家具について諸々。


4.イス選びで絶対に失敗しないために覚えておきたいポイントまとめ

http://imonoblog.com/archives/51694463.html

まずは椅子、いす、イス。実はこれが非常に重要。社会人の方々に聞くとほとんどの方が「イスはいいもんを使ったほうがいいよ」と仰ります。
というのも思った以上に腰への負担、そしてそこからの身体への負担は大きいようです。またそのまんま作業効率にも関係してくるようです。
あんまり気持ち良すぎても作業にならない気はしますが、とにかく機能的なもの、そして自分に合うものをしっかり探し出したいと思います。


5.買って得したな〜と思うものPart0.5(いいモノ紹介ブログ)

http://imonoblog.com/archives/51693461.html

大きな家具やら小さな家具まで、いろいろ載っています。むしろこの記事にあえてよかったです。
この記事以外にもPart化されているので全部読みます。みなさん生活レベルすごく高そうだけど、できる部分はいろいろ参考にしたい。


6.ベッドの選び方わかんねえええええ  (まめ速)

http://mamesoku.com/archives/3144609.html

続いてベッド。この中でも言われてるけど、実はベッドが一番生活の中で使われる家具。やっぱり体力は大事だし、より一層体が資本になるわけなので、この辺にも気を使いたい。現在ソファーベッドでベッドと畳+布団を行ったり来たりしてるけど、次はどうしようかな。



7.IKEA HACKS 〜 激安&快適インテリアライフのすすめ 〜(IDEA*IDEA)

http://www.ideaxidea.com/archives/2007/02/ikea_hacks.html

おなじみIKEAさんの上手な使い方。こういうサービスもあるんですね、知らなかった。自分は前回(大学進学時)の家具一揃えをニトリさんでやってしまいました。今回はIKEAさんかなー。どっちがいいかは直接お店に足を運んで決めようと思います。おおかたの家電は使いまわしですが、家具をもうちょいしっかりしたい。


8.あなたの知らない照明術(AKIYAN.com)

http://www.akiyan.com/blog/archives/2007/01/post_75.html


部屋の中でもその雰囲気だけでなく、暮らす人の脳や気持ち、疲れと癒しに大きな影響力を持つのがこの照明。こんなにいろいろ用法があるなんて全然知らなかったです。これは貴重。間接照明というとちょっとオシャレでエロいイメージがありましたが、やっぱり落ち着くんですね。高級な場所ってとにかく似たような照明効果が多いとは思っていたんですが、こういう理由があるとは。これもできる限り参考にしたい。



9.模様替えや引越し前に使えそうな無料の家具レイアウトアプリ『Sweet Home 3D』(lifehacker)

http://www.lifehacker.jp/2010/02/100219_sweet-home-3d.html

なんかこれすごい。部屋の間取りとかレイアウトのシミュレーションができる。
自分はまだ部屋とか家具とか決まっていないので、使わないんだけれど、なんかすごい。



10.めぞん部屋スレ
http://room2ch.com/ 

お部屋晒し.com2
http://sarashiba.exblog.jp/

おもに週末部屋晒しスレのまとめが集まっている。このスレは思いがけないインテリアを知ることができたり、単純にすんごいわくわくてかてかしてしまうのでよく見ています。しかしセンス高すぎてなかなか簡単に参考にするとかしないとかは言えませんが、とにかくwktkするのであります。引っ越しや片付けのモチベーションアップに有効です。特に部屋掃除に大して強力な動機付けとその維持になります。
お部屋晒し.comさんは現在更新がお部屋晒し.com3に移っていますが、2の方はジャンルや系統別にまとまっていて参考にする際に便利なのです。


とまぁ、こんな感じでしょうか。
家具や部屋、小物に照明など、本当にいろいろなものがあるなあ、というのが月並みですが感じたところです。
もちろん新社会人となり、仕事やプライベートでもバリバリやっていきたいところですが、日々の生活というのも大切な要素。
むしろ家の外の自分を支えているのは、家の中での生活なんじゃないかと思います。
そろそろ新たなすみかの目星もつけなくてはならない頃、じっくりしっかり、していきたいものです。



以上。

彼氏が欲しい女とインターネット


「彼氏欲しいから料理ブログつくった」 http://t.co/MXA0kwOk (まめ速)というまとめブログの記事を読んだ。
この女性は23歳、いわゆる喪女、つまるところモテない女である。詳しいことはwikiにあるのでその辺を参照に。(http://ja.wikipedia.org/wiki/喪女 )
実はこの女性のインターネットの使い方がとても素敵だなぁと思い記事を書くにいたった。この女性そのものが素敵かどうかはわかりかねるが、この女性のインターネットの使い方は個人的にとても好感が持てる。スレを見ていてもなんだか良い人そうなのは十分伝わってくる。(同時にダメそうなのも伝わってくるが、それはご愛嬌。)



http://blog.livedoor.jp/momesi/ (喪飯ブログ)

そしてこれが彼女のブログなのであるが、なんともまぁダメそうなご飯の数々である。始めた頃なんて自炊と呼べるのかどうか怪しいものまである。それでも、最近はかなりマシになってきていて、時々見に行く自分も不思議とホッとしている。※やっぱりフライにマヨネーズはちょっと心配だが。

さて、「彼氏が欲しいから」という理由で始まったこのブログ。見てみればわかるが、彼女からの一方的な発信(記事の更新)はあれど、コメントに答えたり、コメント欄に登場するといったコミュニケーションはない。もちろん、彼氏がいない年頃の女性がブログなんていう公開日記みたいな行動をすれば、どこからともなく嗅ぎつけて彼女の欲しい男性たちが集まってくる。それはインターネット上においては日常茶飯事である。そりゃぁもう出会い系サイトだけでなく、ブログだのSNSだの2ショットチャットだのそこらじゅうで行われている。どうしようもなく日常茶飯事である。
そもそも、彼氏が欲しいのであれば、ブログでもSNSでもなんでもいいのでえっちな写メやら捨てアドやらを晒し、男性を集めて、その中から選び出せばいい。そうすればいろんな人がネットを使う今の世の中、そりゃぁもういろんな人が集まるのだろう。非常に効率的ではなかろうか。

ところがどっこい、それは本質的ではない。 このブログで彼女が返信を送らない一方的な発信を行うという構造に、実は非常に本質的なインターネットの使い方が見えている。

大体インターネットを「使って」いるユーザーがどれだけいるだろうか。たとえばSNSでの人間関係に疲れてしまうひとがいる。その人は常にソーシャルメディアで自分が誰とつながっているか、自分が誰にどう見られているか、自分のつながっている人は誰とつながっているのか、といったネットとソーシャルメディアが可能にした人間関係の可視化に過敏に反応する。もちろん一度に多くの、それも不確実性に満ちた人間関係を処理するなど人間の脳にはできるはずもなく(だからこそデジタルで行っているのだが)、様々な不確実性について闇雲に考えを巡らせ、精神的に疲弊してしまう。 ぼくが思うに、こういった人はどちらかというとインターネットに使われているといった方がいいと感じている。インターネットという道具によって可能になった、より広い範囲の人間関係の管理という手段が、一部の人々の中では目的となってしまっている。知らず知らずのうちに本末転倒に陥ってしまい、しかもそれが最近はリアルタイムだのつぶやきだので実生活に密着してしまっているからタチが悪い。
何かやろうと思いつつ、自分は何だと考えつつ、それでも周囲(ネット上)の目を気にしてしまい、何もできずに悩み苦しみ続ける。インターネットという道具に自分の活動を規定されてしまっている。

インターネット上に「彼氏が欲しい」と書き込んで、彼氏を作るのは本質的ではない。 Easy come easy goとも言うべきか、簡単に手に入れたものは簡単に無くなってしまう。それでいいなら手間のかからない方がいいが、いやしかし彼氏はどうだろう。恋人というのはそんなに簡単にポッと出てきてポッとどこかへ行ってもらっても困る気がする、いや困る、個人的には。もし超絶ビッチでサイフもしくはイチャイチャ相手が欲しいだけとか、友達に恋人がいるってウソついちゃったからちょっと彼氏のフリして、(漫画では見たことあるけど、実際そんなのあるのかね?)みたいなもんだったらいいのかも知れない。 けれどもそんなんそもそも恋人じゃない。

っていうか、今回は恋人云々ではなくて、いかにインターネットを道具として自分のためになるように飼いならすかというおはなし。

彼女のすてきなところは、インターネットの力で彼氏を作ろうとしたのではなく、インターネットの力で自分を変えて、自分の力で彼氏を作ろうとしているところにある。料理ブログに関しても、ちゃんとコメントを見ているんだかいないんだかのぶっきらぼうな更新をホイホイ繰り返すのみ。せっかく男がきてもシカトをぶっこむ始末。それでもちゃんと見ている人間は見ていて、コメントなんかを残したりする、そしてそのほとんどが彼女を応援するものだったりする。
応援されるブロガーっていうのが最近増えてきたと思う。もちろん最初からいたっちゃいたけど、有名人やすごい人なんかではなく、そこらへんの引きこもりが本気で東大を目指していたりする。※ちなみにこれはちょっとガチで自分も応援している(http://ameblo.jp/vipdetoudi/
ほかにもきっと小さな物語はたくさんあるのだろう、ぼくがそこまでいろいろ見て回れていないだけで、ブログを使ってがんばっている人は数多くいる。
そこでがんばってしっかりできてる人っていうのは、もちろんだけど「ブログをがんばる」のではなくて、「ブログを使ってがんばっている」。


喪飯ブログに話は戻るが、きっとこの女性もそういう人間の一人なのだと思う。確かに料理は上手とはいえないし、気の利いた配膳をするわけでもない。言ってしまえばそのへんの男子より女子力が低い。それでもここまでコツコツ一年間やってきた。実際に料理の腕も(ちょっと)上がった。最近は2ちゃんねるでスレが立ち、コメントやファンが多くなったが、あのぶっきらぼうなスタイルは崩さない。毎日の更新を楽しみにしてコメントを残したりする住人は「野菜を食え」や「スーパーの惣菜は少なくとも皿に移せ」「テーブルが汚いからなんとかしろ」といった叱咤を飛ばしつつも、ちょっとがんばってきれいな料理を更新した日には「やればできるじゃん」「おいしそう」と素直にほめたりもする。また、ブログという双方向性の情報発信ツールを使っておきながら、更新者のコメントのレスのない片思い構造かと思いきや、意外とコメントのアドバイスを取り入れたりしている。そうやってなんだかんだフォロワーシップを構築し、今後も続いていくのだと思う。



そしてたぶん、この女性には彼氏ができる。


いつになるかはわからないけど、少なくともそのきっかけにはなるはずである。
一種のライフログとして、自己管理のツールとして使い始めたこのぶっきらぼうなブログは、しっかり彼女の中で生活の一つの軸として機能しているのではないかと考える。

このままではダメだと思い立ち、自分を律し、よりよくするために周りの人の声を聞きつつ、叱られつつ、励まされつつ歩き出す。その轍はきっと本人の中でかけがえのない思い出になるだろうし、それを見ていた人々の間で語り継がれるだろうし、そしてこれから歩き始める人たちの指針になるのかもしれない。
そういうすてきなインターネットの使われ方を、久々に見つけて胸が躍った10月の半ばでした。

※全体的に美化し過ぎなのは認めますハイ。

とりあえずこんなもんで。とりあえず放置Yeah。

「i」のある生活。


ついに明日発売ですね、iPhone4S。また今朝はiOS5が配信され、「未来キタ!!」などいろんな方々の驚きと喜びと興奮の声がこれでもかと聞こえてきます。今回のOSアップデートは僕もとても楽しみにしておりました。とくにiPadでのアップデートです。これまでのOSより、ダイレクトにアプローチできる情報の種類が大幅に増えたので、ここぞとばかりあの大画面が活きてくることでしょう。

さて、来年からウェブ業界、とくにモバイルの分野に関わることになっているので、昨今のスマホブームにはこれでも頑張ってついていっているのであります。とくに最近は林檎マークの会社やアンドロイドの会社に加えて、ウィンドウズの会社も参入してきたり、アジアでハード作ってたところが自社OSに乗り出したりなどてんやわんやで一日たりとも目が離せない。おまけにほぼ毎日といっていいほど最新機種の情報がリークされ、さっきまで最新機種だったアレがもう時代遅れ、とくに日本なんかはもうてんやわんやのわんわんお、なのである。

さて、そんなこんなで自分は現在iPhone3GSiPad2を持ち歩いて生活しているが、これがどうも珍しく映るらしくよく「どうなの?」と聞かれる。それはもう週に3回くらいのペースで聞かれる。いったい何がどうなのか、どんな回答が期待されているのかわからないしめんどくさいので「ふつうだよ」とブン投げた回答をしているのだが、ここらでちょっと自分のためにもまとめなおしてみたいと思う次第である。



まずよく聞かれるのは「スマホってどうなの?」ということ。
どうなのってどうなの?と毎回聞き直したくなるのだが、そんなわけにもいかないのでちょろっと考えてみる。
スマートフォンという次世代携帯電話みたいに巷では言われているが、実はそんな大それたものではない。というのも、実はスマートフォンと従来のケータイ(フューチャーフォン・ガラケー)の間に明確な定義による差はない(文化的な側面での定義で)。強いていうなればスマホはアプリインストールによって機能拡張の幅が広い、ということくらいだろうか。それ以外は普通のケータイだ。デザインなんかは画面がとにかく大きく、タッチ操作で直感的!みたいなことが言われてるけど、従来のケータイでもそういうデザインのはいくつかあった。(au[sportio] http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20090702/1027505/?rt=nocnt など。)
実は日本ではタッチスクリーン型のケータイはそこまで流行らず、いわゆるパカパカ型と融合してスライド式ケータイみたいなデザインに落ち着いていた。でも最近ではまたフルスクリーンのスマホが流行りつつある。これはもうアップルさんすげぇ、としか言いようがない。だってかっこいいんだもの、アイテムとして。とにかく今流行に流行ってて、これがすごい波になっている。どこのスマートフォンもあのカタチ。もちろん例外もあって、個人的にはそっちのほうに注目している。([AQUOS PHONE THE HYBRID 007SH] http://plusd.itmedia.co.jp/mobile/articles/1105/20/news038.html )

次に機能的な面についてだが、実はこれもできることできないこと自体にそこまで差がないのでは、と感じている。そもそもガラケースマホの見た目が違う通り、ものごとのやりやすさ、やりにくさは確実に存在するも、できない/できる、ということにそこまで固執する必要はないんじゃなかろうか。どっちを使うにしろ、絶望的に困るという場面はないと思う。たとえばスマホのメリットは画面がデカイ、のでインターネットやそのたいろいろでなんか見る、読むに長けている。つまりブラウジングがしやすい。まぁ当然だよね、画面がデカイんだから。ズームイン/アウトもラクラクだし、カーソルとは違って指で遠いところを一発指定もできる。(これはむしろタッチ型ケータイの特徴だけど)
じゃあガラケーは?というと、(一般的に)キーが付いていることだろう。あのポチポチ感に実はいろんなところで助けられている。スマホだと「打ち込む」という感覚がどうも乏しいため長文を打つのはキツイ。あと意外とタイプミスが出たりする。そういうストレスや精度的な面ではガラケーのほうがいい。スマホはそこをフリック入力といったインターフェースで上手く別の回答を導いていて、慣れてしまえばむしろそっちのほうが使いやすいなんて人もいるんだけど。
まぁでもボタンが多いのは機能が多いデバイスにとって有利。ショートカットとか呼び出しも素早くできるし。

「でもスマホのほうがいいっていうじゃん」ってそりゃおめぇ売れるからだよ、とか夢のないことを言ってしまうのもアレだけど、実際そういうのはあると思う。「Android」とか、「未来へ行くならスマホ」とか言っておけば売れる。日本すごい。掃除機とか洗濯機にAndroidOS積んでも売れそう。ただ、いまのインターネットを見ていると、(時代というと大げさなので)、そういった界隈の動きは確実にスマホのほうへ歩き出している感は否めない。今回はアプリの充実、外部サービスの増加っていう意味で。とくに最近話題のSNS群。TwitterFacebook、それ以外にも実はニッチで面白いサービスがたくさんあり、それらは主にインターネット上で動作し、どちらかというとコンパクトな発信と莫大な量の情報のシャワーを浴びることを想定しているので、インターフェースもろもろがスマホを考えたものになっている。特に最近顕著なのがmixiさん。あのインターフェースは完全にTwitterFacebookを意識していて、一時期みられたポータルサイトちっくな見た目じゃなくなった。マイミク(可視化されたユーザー)のアクティビティをストリームに一本化するという形は画面が大きく、しかも縦長で、指をポインターとして操作するスマートフォンと非常に相性がいい。時系列もリアルに把握できるし、持ち運べて電車内でもチェックできるモバイルとは相性がいい。評判はなぜか悪い。

「えー、じゃあスマホがいいんじゃん!」
っていうのも、そういうサービスを使うのであれば、というハナシ。たとえば朝起きてRSSで今朝の最新ニュースをがっつり読む。Twitterでリアルタイムな世の中の動きを読む、ヒマがあればGPSを起動させチェックインする、友達のおいしそうなランチにイイネを押す、常に生活の隙間に情報と触れ合う仕組みを張り巡らせるような人間であれば、スマホはそういうのに向いているので生活が捗るだろう。
逆にひとつのコミュニティでがっつりメールや電話でやり取りをする、文字をガシガシうってオシャレなメールを作っちゃうタイプにはあんまり向かない。というかもともと日本人に合うように独自に進化した(=ガラパゴス化した)ケータイなんだから、基本的に大多数はガラケーで何の問題もないと思う。むしろ最近の国内産のスマートフォンガラケー化が激しく、どんどん「普通のケータイ」に近付いていっている。たいていのことはプリインストールされてるアプリでも賄えるし、せっかくの機能拡張という差別化すらなくなりつつある。ガラスマ(=ガラパゴススマートフォン)なんていう意味不明なワードも出てきて、日本人は「高価値=高機能」みたいな思考回路しているため、もはや国内で売られているスマートフォンは全然スマートじゃない。まぁ当然の結果だとは思うけど。
使う場面を、使う機能を、そして使い心地を想定してみればいい。とくになんのWebサービスの恩恵も受けずにメールや電話機能を重要視するならガラケーのほうがいい。スマホにとって電話もメールもただの一機能にすぎない。大事なのはアプリだもん。ウェブブラウジングが本分で、メールや通話は二の次って感じすらある、でもそれでいい。えー、メールとかマジ大事じゃん、みたいな人たちはいまさら便利だからって箸でゼリーを食べるような不便さを自ら選びとって被りに行く必要はない。ゼリー食べるならスプーンを使おう、スプーンを。

スマートフォンがスマートなのか、無用の長物なのかは持ち主がスマートかどうかで決まる。というのを聞いたことがあるが、ガラケー使ってるやつがバカなのかというと、そうでもない。ただ、よく考えずにスマートフォンに乗り換えちゃうやつをあんまり頭がいいとも思えないのは事実。

スマホってなにができるの?」とか聞いちゃうのであれば、それはまだちょっと話が早いと思う。スマホに乗り換えてその恩恵を被る人間は、目の前の人に聞く前に検索窓に検索ワードを打ち込むような人間だ。いままでリアルで行ってきたことをバーチャルに、いままでバーチャルであったことをリアルに持ってくるのがスマートフォン。その意味がよくわからなかったらそんなに急いで変更手続きをする必要は感じられない。リアルをよりリアルに、バーチャルをよりバーチャルにするフューチャーフォンで十分間に合うし、そっちのほうが向いている。


iPadにも同じことが言える。このデバイスについてはいろんなところでいろんなことが言われてるんだけど、一ユーザーとして感想を述べればまさに「魔法のデバイス」(キリッ。ジョブズさんアンタすげーよ。生きてるうちにお目にかかって感謝の意を述べたかったものだ。

iPadに関して言えば「なにができるの?」よりは「iPhoneとはどう違うの?」という質問が集中する。

あえて言おう、画面の大きさであると。

まぁそんなことは当然で、歴然とした事実であってそれ以上でも以下でもない。んで、何ができるのかというとiPhoneのそれとほとんど同じで、でもちょっと腰を据えたいときにしっくりくる、という感じ。



そもそも僕がスマートフォンを使っている理由は主に二つ。

ひとつはTwitterfacebookといった情報収集、コミュニケーションといったソーシャルネットワーキングのため。
やっぱりスマホならネットだ。情報がいちばん早くて、いちばん多い。正しいかどうかとか、質的な意味は抜きにして。とにかくやわらか銀行さんのか弱い電波とか気にしてられない。

もうひとつはクラウドで管理している文書を作成したり資料閲覧したりするため。クラウドっていうのはネットに自分のスペースを設けてそこにバーチャルな保存スペース、いってみりゃUSBメモリを置いておく、とかそんな感じだとわかりやすいかも。そんでそのUSBメモリにどこからでもアクセスできて便利やん、みたいな。とにかくパソコンとスマホを連動させる。パソコンでやったことはスマホで見られるし、スマホでメモっといた資料はパソコンで確認できる。いつでも、どこでも。編集だって提出だって出来ちゃう。無敵。しかもほぼ無料、素晴らしい。

このふたつ。んでiPadはそれらをより便利に、そして快適にする。画面の一覧性、入力のしやすさ、とんでもなく長いバッテリー、持ち歩けるサイズと重さ。これがなんとも絶妙に、巧妙に、普段の生活にしっくりくる。非常に感覚的で説明ができない。ただ使えばわかる。しっくりくる。「おまえ日常生活のここでこういう風に入り込んでくるのかー」と言わんばかりに密着してくる。すごい。
とにかくこれによって日常生活における読む・書くは一段階進化したし、それによって考えること覚えることの効率も一段階進化した。※おまけにアウトプットも、もう一段階進化してほしいところ。


またよく聞かれるのが「iPhone」との差別化について。
個人的にはそんなに差別化を意識する必要があるもんかなぁ。と思うのだが、買うための理由、買わないための理由として確かに必要な要素でもある。
これら二つのデバイスの差別化は、とくに意識していない。「あーこっちのほうがいいなぁ」とか、「ここにきてこいつは不便だぜ…」みたいなのはあるけど、結局どちらも肌身離さず持ってるわけだから、便利なほうをその都度選択している。確かに機能面でかぶる部分は多いが、それはむしろどちらかが力尽きたとき、もう片方でカバーでき、日常生活に支障を来すようなリスクを回避できるという面でメリットなんじゃなかろうかとか考える。iPhoneではこれはやらない!iPadではこれはやらない!というものはほとんどない。結論から言っちゃうとどっちも便利である。確かに汎用性の高さでいえば(サイズとか)iPhoneのほうが重要ではあるかも。その機能をよりよくするという意味でiPadは成立する。
もちろんガラケーと組み合わせても十分可能。通話やメールといった対人コミュニケーションの安定性という意味ではガラケーiPadはすごくバランスのいい組み合わせかも。


ちなみにぼくは現在(2011/10/13)の時点でパソコンを所持していない。正確にいえばあるんだけど実家に置いてきている。すべてのあれやこれやをiPhoneiPadで片づけている。意外となんとかなるもんだ、と我ながら驚いている。もちろんこのエントリーみたいに長文をダラダラ書き続けるのはきつい(ので大学のパソコンを使ってます)けど、意外と何とかなる。というかなんとかできる能力よ在れ。
つまり「そういうひとがいるんだからあたしも!」みたいなのは結構危険で、実はどうにもならないこともある。それは仕方がない。各個々人が活動しているフィールドやポジションはそれこそ多種多様なので、自分ぐらいがなんとかなってもみんなにそう言えるかといえばNO。それは各自で判断してくださいよ、ってこと。


スマートフォンタブレット、実はそれ自体はただの画面でしかなくて、そこに何をブチ込んで、何を映して、自分の日常生活をどうデザインするか。ここが問われるアイテムである。非常に能動的な、自分からどうにかしてやろうという意気が求められるもの。なので優良なアプリ、サービスに関する知識というのは日々集めて納得がいくものを探し続けなければならない。それが楽しくもあるし、自分の隙間時間を充実させるものでもあるのだけれど、そんな暇がない、めんどくさい、キモい、なんであたしがそんなことやんなきゃいけないの、みたいな人はガラケーへGo。それでいい。そのほうがいい。あれはあれで素晴らしくパッケージ化されていて、同じくらい便利だ。
モバイルというのはなんだかんだ生活にすごく密着していて、face to faceでなければコミュニケーションの玄関口となっている。使いやすい使いにくい、便利か不便かでその人と、その人に関わる誰かの生活を大きく変えうる。売れてるものじゃなくて必要なもの。便利そうなものじゃなくて使えるもの。しっかりと考えて買いましょう。



何でもできる、何でも叶えてくれる魔法の画面ではない。ということ。
だからこそ、夢があるんだけれども。


適当だけど、そんな感じで。はい。

「勝てた」試合に「勝てなかった」選手

先日、大学の部活の後輩やOBさんと出場した卓球の試合があった。その日は後輩3人と自分の四人1チーム。それぞれでダブルスを3つ作りそのうち2つが勝ったチームが勝利するという小さな団体戦であった。会場は東京都某区の小学校の体育館。場所もマイナーだし体育館もすごく大きいという訳でもない普通の体育館であった。ぶっちゃけてしまえば、かなりチープな感じが漂っていた。

チームを組んだ後輩2人はカットマン。守備型であり台から距離をとり相手のミスを誘うタイプの戦型である。もう一人はフィジカルが強く、強いボールを打つことのできるパワーヒッター、サービスも巧みで浮いたボールを一発で持っていく超攻撃型の選手。実力的にはパワーヒッターの後輩がひとつ抜けており、その下にカットマンの二人がいた。

この日の最後の試合が非常に印象的だったので、ここで記事にしたいと思う。

その日のラストの試合は年配の方3人のチームであった。この大会、チームのメンバーが何人いようと試合に出ることができるのはそのうちの3名で、その3名で3通りのダブルスを組むことになっていた。ローテーションで出場順が決まっており、試合に向かう後輩3人を見送った。

大学生と齢70前後とも思われるおじいさん。たいていの競技であればフィジカルの強い大学生がよぼよぼの年寄りなど余裕でフルボッコ...なのかも知れないが、卓球というのは非常に奥が深く、クリエイティブなスポーツであり、そう簡単にもいかない。

なんせ本当に強いおじいさんにもなると、若くてゴリゴリした学生に何もさせず汗一つかかずに勝利したりする。筋力だとか、そういう問題ではない。そこには光る技と戦術があり、相手をハメにいく。本当に何もできず、筋力任せにこっちが空回りをしてあっという間に試合が終わる。そういうものなのだ。

個人的に自分も学生相手であればそこそこの実力(としておきたい。)のであるが、一回、よぼよぼのおじいさん、それも自分の祖父と同じ年くらいの方にボッコボコにされた経験がある。おばあちゃんでもそうだ。まったく油断ができない。むしろ学生以上に厄介ですらある。

さて、結局その試合。結論から言えば負けた。ひとつめのダブルスは0-3のストレート負け、次のは1-3だった。
試合直前、おじいさんたちから声をかけられ「お手柔らかに頼むよ」「ちょっと遊んでおくれよ」「本気はやめてね、腰が壊れちまうよw」といわれた。まったく愛嬌のある人たちである。物腰柔らかく、丁寧で優しく、人間としては非常に魅力的だ。

でも目の前にあるのは勝ち負けのあるスポーツの試合である。

1ゲーム11点、それを3ゲームとってチームを勝利に導かなければならない。試合とは、勝負とは、そういうものである。

しかし少し気になったのが後輩たちの様子だった。話しかけてくれたおじいさんたちに笑顔を振りまき、場は和み、そして気も緩んでいた。

試合前、アドバイスに向かうとあまり緊張していない様子だった。嫌な予感しかしなかった。

試合開始後、やはり少し手を抜いているようにしか見られなかった。簡単なミスが多く、そして相手の強打を浴びすぎた。あっという間に終わったが、第一ゲームを相手にとられても危機感がない。

「少しミスが多かっただけ。大丈夫、次ちゃんとやればいい。」

そうして同じようにして第二ゲームも相手に連取された。第三ゲーム目ではさすがに目も覚めたのか、真剣な面持ちでコートに向かうも逆に緊張してうまくゲームが展開できない。だんだん強気で打ち込むようになった時には時既に遅し、ストレートで敗北した。

二番手の二人も同様に、負けた。

試合に出た選手はいらいらしていた。それは当然だ。どう見ても自分より弱い(風に見える)相手に、腕っ節では絶対に負けないような年寄りに、何もできず負けたのだから。後輩の一人が言った。

「いまのは絶対に勝てた試合だった...」

このことばを聞いて感じたことが二つある。今日はそれについて書いてみたい。

「いまのは勝てた試合だった」そういった後輩に「なぜそう思うか?」と尋ねてみた。

たしか「相手がお年寄りであり、フィジカルはこっちが勝っている、ボールのスピード、回転量、威力はこちらの方が上だった。また自分たちが格下であるというということを試合前に言ってきたし、実際にそう感じた」といったことを答えてくれたようにおぼえている。

さて、それで彼は「勝てた試合」だったというが、それはどうだろうか。端から見ていれば敗色濃厚にみえた。それもそうで、実はあのおじいさんたちはそれなりに練習もしている、実力もある、戦術もある。そしてなにより、後輩たちの出足を遅らせ、かく乱させた「戦略」がある。そもそもどんなに若くて元気でたくさん練習しているとはいえそこら辺の学生とは競技歴も人間としてのキャリアも違う。こちらはたかだか十数年(後輩たちは年下なので数年)程度の競技歴、何十年とやっている人たちとは比較にならない。相手はお年寄りでも老人でもなく、一人の選手でありしかも、いまだに現役でプレーを続行しているベテランの選手なのである。手を抜いても油断してもいい理由は一つたりともあり得ない。それに気づけなかったという点で、勝利はかなり遥か彼方に霞んでいたような気もする。

戦力と戦術、そして戦略はそれぞれ試合や戦、ゲームの中でその結果を決定づける要素であるが、実はこれらは思った以上に混同されたり軽視されがちであるなぁと感じている。それぞれはもちろん違うものだし、どれが大事だとかではなく全てをおしなべて考えていくことが勝利することに直結する。
ここにぼくなりの解釈を置いておく。


1.戦力
相手を打ち負かす力である。プレイヤー本体の体力やフィジカルでもある。合戦では兵力であるし、卓球でいえば技術の精度やバリエーション。キャラクター性でもある。相手との勝負にあたって自分が持っているもの、持っていけるもの。



2.戦術
相手に対して戦力をいかに使うか、whatではなくhowの力。ルールに則り、スコアを稼ぎ勝利する方法を構築し、実行に移す力、またはそのレパートリー。戦力自体が拮抗していた場合、戦術が求められるし、多勢に対して無勢であっても戦術次第では勢いをひっくり返すこともできる。卓球でいえばラリーを構築するコース取り、サービス変化を繰り出す順番。キャラクターに対してストーリー性といえる。相手と向かい合って勝負するときに考えるもの、生み出せるもの。




これら戦力と戦術はよく認識されているが、第3の要素である戦略に関して最近思うことが多いので考えてみる。ちょっと難しくてぼろぼろになりそうだけどがんばる。

3.戦略
読んで字のごとく「戦を略する力」。戦術や戦力のメタ的な存在で、勝利に一番近いところにある要素なのかも。どのように戦局を進めていくかという全体的な方針。よく「戦略は将軍の術、戦術は兵隊の術」ともいわれる。今回の例でいえば勝利という目的に対し戦術や戦力といった手段をいかに運用して目的達成するかという全体の見通しや、自分自身に対する戦術ともいえる(のか?)。上記した二つと違い、勝負の外にある力。キャラクター、ストーリーに対して企画力、PR力に位置する。


略という字にはもう一つ側面がある。
人は、煩雑で複雑で面倒で難しいことを略する。ポケットモンスターポケモンだし、超very very good!はチョベリグ(最近聞かないけど)だし、3. 1415926535 8979323846 2643383279 5028841971 6939937510 5820974944 5923078164 0628620899 8628034825 3421170679 8214808651 3282306647 0938446095 5058223172 5359408128 4811174502 ...はπである。どうでもいいけど円周率はググってコピペしましたごめんなさい。
そして勝利のために戦うことも略することができる。戦場にあるひとつひとつの戦いの効率化。それをやるのが戦略なのではなかろうか。
略するということは単にものごとを削除していく減退的な活動ではなく、いらないもの不要な点を消していくことで目的達成のプロセスをシンプルに、明確にすることでもある。特に相手がいるのであれば、効率が悪いと遅れをとりかねない。これは致命的だし、逆に効率化を図ってリードできればこれほど有利なことはない。
先日試合の会場で出会ったおじいちゃんたちは、この戦略を巧みに利用し、こちらのスタートダッシュを致命的に遅らせた。実際その裏に意図があったのかなかったのかは知らない。それでも実際に後輩たちは油断し、負けた。もしかしたら本当にいい人たちで、心の底から試合を楽しもうと声をかけた、または本当に大学生を怖いと思っていたのかも知れない。だがしかしそうだったとしたら、この戦略感を肌感覚で持っていたということにもなる。事実、彼らはそれで勝ち、試合を存分に楽しんだのだから。試合の様子を見ていてぼくとしては後者とはあまり思えなかった。とてもフレンドリーで、そして紳士的な態度でありながらも試合に勝つことに対する執着はぼくたちと同様に感じられた。また試合中の技術の幅、ミスの少なさ、スムーズな戦術転換は娯楽の域を超え、完全に競技用としか思えなかったからだ。彼らは、勝ちにきていた。


とにかくそうして彼らはぼくらの手から勝っていれば入賞してもらえたはずの賞金をかっさらい、意気揚々と帰路についた。
試合に出た後輩たちは不完全燃焼であったに違いない。試合を見ていながらも、本 来 で あ れ ば 勝てた試合だったかなぁ...とぼくも思ってしまった。しかし完全にやられた。能ある鷹は爪を隠すともいうべきか、勝負強いということはこういうことなんだなぁと痛感した。みていながらも非常に悔やまれたし、不甲斐なかった、残念だった。


しかし、厳しいかもしれないけど「勝てた試合」なんてものは甘えと幻想であり、どこにも存在しない。そこにあるのは「勝った試合」か、「勝てなかった試合」のどちらかのみ。「勝てた試合」なんていうのは、所詮勝てなかった人間の遠吠えにしかならない。もちろんこんなことを偉そうにいえるほどぼくも強くなく、そういったミスや言い訳はなるべくしないようにしていながらも時々してしまう。でも言い訳は自分を成長させないし、何よりダサい。

勝負にこだわる、でもこだわりすぎない。っていうのは非常に大切な視点。これは手段の目的化だとか、短絡思考とか表面しかみていない狭くて浅い視野に自分を落とし込まないようにしながら、それでも真剣に自分を高めていく。これが現実の戦場で一番強いひとのとる方法だし、それこそが戦略なのかもしれない。

さらっと人事を、むしろ万事を尽くしてただ天命を待てる人間になりたい。そういう人はすごい。さらっと勝つための努力をこれでもかとし、準備を怠らず、ミスもなく、相手の弱点を突き自分の得意な土俵で簡単に試合を進めて勝利をさらっていく。すごい。かっこいい。憧れてしまう。強い人からは学ぶことが多い。そんな人からの敗北であればさらに学ぶことは多い。

おじいちゃんたちが笑顔で試合前に言ってきた、「いい試合をしよう」という言葉、そして試合後に言ってきた「いい試合だったよ」という言葉が今頃になって突き刺さる。
いい試合のために何をしてきただろうか、今日から何ができるだろうか。

ソー活とかいうやつ。

そういえば就職活動は無事に終えた。実は年が変わるまで院への進学を意識していて、就職活動にシフトしたのはとても遅かったんだけども。就職活動、長かったように思えるかなと思いきや、普通に楽しかったので個人的にはもの寂しさすらある。結果的には数多くの企業を見てきたなかで、抜群に「ここにいきたい!」と思えるところにありがたく内定をいただいた。まぁ失敗か成功かでいえば、他人からはよく成功したといわれているみたい。ものごとを○か×か、成功か失敗か、いいか悪いかなんていう窮屈でナンセンスなものさしで測るのは正直好きじゃないんだけど、この約半年(震災もあったので実質3ヶ月くらい?)の就職活動に納得はしている。

そしてなにより、楽しみである!

「卒業後も楽しみに」
これが就職活動を始めるときに立てた目標なので達成はできた。うん、えらいえらい。

閑話休題




さて、「ソー活」なんちゅー言葉をご存知だろうか。

ググったらいろいろ出てくる。

「ソーシャル就活ナビ」
http://ja-jp.facebook.com/socialrecruitingnavi )

NEWSポストセブン「企業がFacebook利用して就活 流行の「ソー活」はとても滑稽だ」
http://www.news-postseven.com/archives/20110925_31928.html )

ワールドビジネスサテライト,1/13,「ソー活」vs「リクルーター
http://wbslog.seesaa.net/article/180575646.html )



(ぐぐって上から適当にのせました。)

とかなんちゃらかんちゃら。まぁ就職活動生なら一度は聞いたことがある(のか?)だろうし、まぁなんかこういま話題のfacebookソーシャルメディアとか使って就職活動をしよう的なムーブメントらしいわけ。
実際のところ、ぼく自身もどうやらそう呼ばれる種類の就職活動をしていた(個人的にこの呼び名はちょっと抵抗あるけど)ので、周りからその当時のお話を聞かれることが多い。
さきほども、2011年卒でありながら、いきなりアメリカにいっちゃった友達がこれから就活らしく、いくつか質問をいただいた。
今後、実はそういう話をひっさげて13年卒のシュウカツセイくんたちに講演をする機会があるので、忘れないようにメモにでもと、がんばってかいておく。

しかも調子こいてはてななんか使っちゃう。


どういう就職活動だったの?というのを簡単に話してみると、自分は二つの路線で就活した。ひとつはいわゆるリクナビシューカツみたいなもの。就活情報サイトに登録、ひたすら来るメールをちぎっては投げちぎっては投げ...面白そうな企業があったらストックし、会社情報などをチェック。そして興味が出たらエントリー。まぁこっから先はみなさん知ってるだろうし省略します。なんか説明会出てES書いて面接いってなんか内定やったーって感じ。

ただ、これじゃすんごいお金と時間がかかる。というか、めんどくさい。特に毎月ライフラインが止まるの止まっただの騒いでるレベルの貧乏学生なので出費がいたい。まぁでもいろんな場所には行けたし、いろんな会社のオフィスに入っておぉー...!!みたいに楽しめたけど、どうも自分のモチベーションがあがらない。毎週毎日説明会にESに面接に...もともとサボり症なのもあって、「まぁまだ次があるし」とかでだんだんダレてきてダメてきた。

もうひとつは騒がれてる方。いつもぼくはTwitterでちょこちょこ情報収集とかしょーもない情報発信なんかをしているんだけれども、そこでベンチャー企業と学生の飲み会があるという情報をキャッチ、「おー、おもしろそうなこともあるもんだ。」と思ってその場で参加表明したのを今でも覚えている。そこで出会った方(その飲み会の主催者さん)が最終的にはぼくの就職活動のメンターとなってくれましたとさ。※メンターっていうのはあれだよ...ググれよ...。
最初はその人にヒアリングを受け、傾向別につながっている企業を紹介してもらい、企業の方とお話しする場をセッティングしてもらい、とにかく人に会う!というかたちで進んでいきました。ベンチャーだとみんな勢いもあってキャラも濃く、とても楽しかった。個人的に起業じゃなくてもなんかでっかいサービスを創りたいと思ってたし、そもそもぐいぐい伸びてあっという間に状況が変わっていくベンチャー界隈を見ているのが好きだったので、これはもうほとんど趣味に近かった。
その間にもリクナビシューカツのほうもちょこちょこやってたけど、ぶっちゃけ「これはダメだな、やる気が起きん。」とブン投げた。
これがだいたい5月とか、6月頃だったかなぁ。震災の影響でかなりスケジュールにムラがあり、リクナビシューカツの方は結構ストレスになってました。


結論から言うと内々定(納得のいくもの)をいただいたのは7月の半ば。その企業を知ったのはたしか6月の終わりくらい...?というわけで認知から内々定まで二週間程度。なんとまぁ、なんとまぁ。実はこの認知の遅さにもあるように、このとき既にぼくの同期となる12年卒の内定者は内定者合宿ということでバリバリやって酒飲んでみんなで仲良くなってた。もちろんそれは会社情報を集めてたので知っていたし、個人的にこういう壁があると燃えてしまうタイプだったので問題はなかったんだけども、「正規採用活動後」のスタートになってしまったという点でメンターの方には難しい顔をされておりました。


んでまぁしっかりやって内々定にこぎつけたわけです。
この間、ぼくがなにか特別なことをしたかというと、特に何もやってないです。好きな会社だったので、会社や業界に関する勉強は楽しんでできたし、志望理由なんか喋らせれば延々と垂れ流す始末。自己分析も結構しっかりやっていたので、特になにか障害や困難は感じなかった。

まぁとにかく入り口はtwitterのたったひとつのツイートで、それを目にする情報収集、その場で即決させた反応速度と飛び込む度胸、そういうのがいわゆるソー活するにあたって大事なのかな、とか感じた。

んで。
実際にソー活をした(という自覚はないけど)感想というか思ったこと。

メリット/デメリットから。

メリット

1.相手との距離が近い。
会社にコンタクトをとり、接することになるとオフィシャルな機会ではない=プライベートな感じになる。というわけで相手と自分の距離が近いというのがまず出てくるんじゃなかろうか。企業対学生という構図よりは、個人対個人に持ち込める(可能性が高い)のがメリットかな。普段説明会だの面接だので理論武装しまくった学生と、それを見抜こうとする人事。これじゃどっちも得しない。もちろん仲にはすっっっっっごくフランクに、とてもよく接してくれる企業もあるにはあるんだけれども、学生がド緊張しまくりであんまり生かせてないなぁというのが実感。学生も企業側も、「聞きたいから聞く」っていう姿勢はとても大事なのかも。
ミスマッチが少ないというのもメリットと言えるかも。本音(に近い状態)でやりとりできるので、企業も学生も相手を見極めて相性の合う合わないを把握しやすい。


2.度胸がつく?
ほかにも度胸がつくというのも。「度胸がないとできないんじゃないの!?」とか言われても、そんなもん最初から持ってないのが普通で、いろんな人に会い、ダメだしされたりほめられたりしながら社会へ飛び込む度胸がついていくのである。※わたくしのことである。
こうやって飛び込んでいく学生は珍しくあるらしく、珍しい物好きの集りのようなITベンチャーに顔を出すと、すごい人たちがぞろぞろとやってきてお話をしてくれたり、こっちの稚拙すぎてどうしようもないモヤモヤ論を聞いてくれたりする。もちろんかれらには仕事があり、そんな長い時間はとてもじゃないがいただけない。ただごはんのついでだったり、仕事後の軽い飲み会だったり、面白半分で意外と付き合わせてくれたりする。そしてダメ出しをくれる。
すごい人であればあるほど、ぼくのようなぺーぺーな大学生との差はある。もちろん、こっちがどんなにかっこつけてもスーツにネクタイ、だけど下半身全裸。みたいに見えているであろう。ボカスカに痛いところを突かれてしまう。非常に論理的で、思考速度が速くて、人間的にポジティブで上昇志向で、なんというか優秀なのである。
一度、SEOを専門とするミドルベンチャーの経営者や役員の方々とお昼ごはんをご一緒させていただくことがあった。
どんな話が聞けるのだろうとわくわくしていったが、10分後にはぼっこぼこ(論理的な意味で)にされている僕の姿があった。就職活動も中途半端のびろんびろんで、ビジョンもなく(今の会社に出会う前だった)、ただなんとなくシリコンバレーかっけー、みたいなどうしようもない脳内だった。「君みたいなのはうちじゃ絶対にとらない」「足手まといにしかならない」「この業界やめたほうがいいよ」等々。そりゃぁ今考えれば自分だって当時の自分に正座させて2時間半くらい説教してやりたい。

でもその時のぼっこぼこは一方的にリンチ(論理的な意味で)されたわけではなく、しっかりと向かい合って殴り合い(論理的ry)をした結果だった。ぼくのパンチが当たらない(正確にいえば、ほとんど出した途端にカウンターされてた)だけで、ぼくが敵わなかっただけで、彼らはしっかりと向き合ってくれた。ごはんも一時間以上お時間をいただいた。
説教、痛いところをグリグリされたあとは、しっかりフォローとアドバイスもくれた。インターンのお誘いもくれた。(結局は行かなかったのだけれど)
後日ブログを見るに、どうやらその経営者の方も大学生時代(起業前)にDeNAの南場さんとお食事に行き、ぼっこぼこにされていたみたいだった。それで悔しいと思ったし、絶対同じ土俵で戦ってやる!という強い思いで頑張ってきたのだそうだ。
もちろん、ぼくも彼に惨めなくらいフルボッコにされ、そう強く誓った。なんだか、してやられたなぁ…と、本当にありがたいなぁと思う次第である。
そういう姿を見て、やっぱり大人の余裕というか、なんというか、かっこいいなぁとか思っちゃってモチベーションも上がる。叩かれる場としては、絶好なのである。


デメリット

1.いまのところ通用する企業が少ない。

それはそうだろう。会社の採用活動にもルールがある。それは学生の平等性を守るためでもあるし、公正なレースをするためでもある。例外的に企業に飛び込むのであれば、小回りの利きそうな企業を狙ったほうがいい。というか、相手がでかすぎると「ちゃんと最初から正攻法で受けろよ」ってなっておわる以前にそもそも機会がない。※わたくしのことである。やるならベンチャー、こじんまりとした企業がいいだろう。あんまり歴史のある由緒正しい業界だと門は開かない。例外的な奇策を受け止めてくれる企業に出会えるまでがんばろう。


2.勘違いするとひどい。

これが大きい。進む方向を修正してくれる存在がいないとキツい。というのも、この方法はメンターがいてこそ。学生単体で行うのは結構大変だと思う。
だいたいこれがひとりでできちゃう人脈や効率性の持ち主だったら、なにカツだろうがばっちり内定ゲットできるから大丈夫。そうじゃない人はまずメンターとなるべき人を捜す。
実はこれがソー活なんじゃないかと思う。



3.一部の人しかできない。

たぶん上の文章読んでも「そ、そんなのわたしには...」みたいな人が多いと思う。それはそうで、これは普通の人を採用するシステムではない(今のところ)。
わりとソーシャルとかSNSとかに精通して、ある程度使いこなしている人に焦点が当たってる。別にそれが差別だとか今から猛勉強しなきゃ内定こないとかではなく、そういう属性を持った人たちのひとつの手段であるにすぎない。もっと全体像をみよう。



すっくな!!
でも本当にこんな感じ。自分でやってるときには本当に趣味半分だったし、単純に楽しかった。



思うに、こういう特殊な採用活動は企業からすれば「ふるいかけ」なんだし、専門職用の選考フローなんて昔から展開されているんだし、特に驚くことではないような。また、とくに不安がるほど一般的ではない。
まぁそれでもソー活のハードルは下がっている。いろんな企業がこの流れに乗ってfacebookページで新卒にアピールしたりしてる。そうすると結局流れる人は多くなる訳だから、上の方で紹介した記事に「滑稽」とかいわれちゃう。つまりは人を絞り込むためのふるいかけなのに、みんなでやっちゃ意味がないだろう、ってことで。
でもそれも時代の流れ。いいんじゃないでしょうか。



「本当のソー活は、常にソー活の外側にある。」

もはやこのソー活っていう言葉を使うのが嫌なんだけども、仕方なく。
つまりこれらがどうして流行っているかというと、学生の中に「ハミダシ者」を求めているから。
もちろん新卒採用市場全体がそうか、と言われればそうではないのだけれど、自分が割と親しくしてもらっているIT、Web関連の市場ではそうだ。
企業の採用企画に携わったりもして、結局「意識の高い子がほしいよね」という結論にもなるのを何度も見た。
ここでの意識が高いというのは情報感度の高さや、新しいことに対する柔軟性・適応力でもある。別に学生団体の代表やサークルのリーダーとか大学祭実行委員会とか、ああいう揶揄されちゃう感じじゃなくてもいい、それであっても、意識が低いのよりは幾分マシだけど。
話がズレそうだ。

とにかくあまり大きくない規模で、そして新市場を現在進行形で開拓中している企業は採用する人員によってその先が大きく変わってくる。だからこそ学生とゼロ距離で採用活動を行っている(のだろう)。
別に学生のためであるだけでなく、企業のためにもそうせざるを得ない。そして、それができる。それだけだ。


そして最近やれフェイスブックだのTwitterだのが流行ってる。なのでウチもこれをやれば目立てる…!
なんていう企業が多い。SNS属性を持った学生が本当に必要なのかとか、いいとか悪いとかそういうのは置いといて。



何が言いたいかというと、ITベンチャーとかIT広告企業とか、そういった企業以外のソーシャルリクルーティングは、実はリクナビマイナビからフェイスブックに自社情報の掲載場所を移しただけなんじゃないの?ってこと。
裏側の話はわからないけど、リクナビ等の情報サイトに掲載するよりは掲載料かからないしやすく済むのかな。
まぁいいや。

詳しくは自分がそういうリクナビシューカツに代わりうるソー活をやってたわけでもないので知らないけど、フェイスブックtwitterも、リクナビマイナビも、結局はきっかけであり、目的地ではないよねってハナシ。
だからそんなに驚くことでもなんでもない。
だいたい、そういういわゆるソーシャルメディアを用いたところで説明会やってES書いて面接で…みたいな普通の就活だったら無意味。

本質的には、情報感度とゼロ距離の対話、そして度胸がソー活のキーであってほしいし、企業もそれを期待していると思う。


就職活動生として一番怖いのは「就活活動」にのめりこんじゃうこと。
手段の目的化は最も危惧すべきこと。


本当のソー活は、常に「作られたレール」の外側にある。