「ロジカル」とかいうやつ。

最近どういうわけか知らないが、人に向かって偉そうに何かを教えたり、相談される機会が増えてきた。とてもそんな人間じゃないのだけど、増えてきた。
高校2・3年生には大学受験を、大学3・4年生には就職活動に関して。それぞれ面談やメール/電話等での相談室みたいなことを時々している。

大学生活の入口と出口、そういうタイミングにいる人々に接していて、感じたことがある。

それは「ロジカルであること」に関して。

ロジックってなんやねん。ということについては簡単にすませたい。
論理と同じ意味。とある主張が相手を納得させるための道筋である。
基本的にひとの主張はツッコミどころ満載である。
ツッコミの方法はいわゆる5W1Hをはじめとした疑問文。これらをその主張にぶつけていく。

たとえば、ジブリ映画「もののけ姫」で、アシタカはサンに向かってこう言う。


「生きろ、そなたは美しい。」



と。


この台詞(=主張)には

なんで美しいと生きなければならないの?
そもそも美しいの?

といった疑問が浮かぶ。至極当然である。
ここでは一シーンから抜き取ったのだからそういう不鮮明なところがあるのは仕方ないけど、それにしてもツッコミどころ満載なひとこと。
でもそれを回避するために映画ではその疑問の答えを「物語」というかたちで解消している。だからこの一言はすばらしい。みんな納得する。アシタカ△ってなる。サンも生きちゃう。
主張の正当化、相手を納得させるにはその主張の説得力を強化するデータ、説明責任が伴う。
そんなところ。


大学生活への入口、大学受験。そこで何が問われるか、ということはもう散々出尽くしているので割愛するけれども、大きく分けて「暗記/知識系」でない方で何が問われているか。
それは「ロジックの読解力」なんじゃなかろうか、とか最近は思う。国語はもちろんのこと、長文が中心に出題される英語、世界史や日本史の記述部分でも問われてくる。
ロジックというひとつのルール、流れ、そのなかで論理的に妥当な選択肢を選ぶ(記号問題)/構築する(論述問題)作業が、要するに大学受験なのかもしれない。論理的な構造を、自分の中に持ち込んで、それをひも解き、「理解できてますよー」というのをアピールする。
その材料というか、付け合わせで同時に知識や暗記項目なんかも試されてくる。そんな気がする。数学に関してはノータッチなんですごめんなさい。



そして大学の出口、就職活動でも、実は論理的思考力とか、そういったロジカルな能力の有無が問われていたりする。
面接官や人事が見ているのは、実はその人の学生時代の輝ける歴史ではなく、そのひとが説得力を持つか否か、なのだという。これは自分も人事企画なんていうところに顔を出してて感じたし、お世話になっている人材業界関係の方々や人事の方が口を揃えていっていた。今更語るべくもあらずそんなことは至極当然で、たとえばサークルの代表だったり学生団体でなんちゃらしていても、社会人になって同じことをするかといえばそんなことはほとんどない。サークルの運営も、社会人になったら(あんまり)ない。むしろそのサークルの運営で培った能力を活かして行きたいところなのは想像に難くない。ぼくらが内定を頂いて4月からなるのはたぶん営業とか、事務とか、エンジニアとかだ。企業は「すごい学生」ではなくて、「優秀な労働力」がほしいのである。もちろん、学生時代の活動がそのまま仕事に結びつく者もいる。けど、それはごく一部の話。
っていうか実際、学生生活で何をしてきましたか。ぼくはそこまで企業に対して自分の学生生活に誇れるものを持っていません。世界一になったことはたぶん一度もないし、日本一もまだない、都内一とか大学一っていう実感もないし実績も多分ない。もし仮に万が一、億が一あったとしても気づいていないので自己PRには使えないじゃん。無意味。だからこういうことは問われる項目として学生にしても企業にしても効率が悪い。
むしろ社会人として、仕事をする上で大事なのは説得力。これ。企業はわかっている。学生はどうなんだろう。相手を自分の思い通りに動かすチカラ、これが欲しい。特に営業なんかは自分の会社のモノを売ってナンボのもん。買わせるっていうチカラが必要。お金を稼がないといけないのだから。ある種、相手の財布を開かせるゲームなのかもしれない。

そうでなくても学生のピヨピヨなコミュニケーションロジックと社会人が仕事現場で使うそれはまったく別物。

「昨日のアレみた?」
「見た、チョーヤバくね?」
「っしょ、チョーヤベぇ。」

なんていう会話じゃだれもお金なんて払ってくれないのである。でも気がついたらこういうやりとりしがちである。
なんせ居心地がいい。相手が自分の言いたいことをわかってくれるし、面白いこと、面白くないことの基準が同じで、いちいち変換したり考えなくていい。でもこれじゃいかんのだよ。っていうのをまざまざとぶつけてくれるのが就職活動とかいう数々の試練である。

つじつまあわせ、というか、とにかく異なるルールや状況、主張をあるひとつの確からしい流れや規則に則って統合し、操作する。そういう能力が大事なのだよと。
それが大学卒業レベルで問われるロジカルであるということ。


大学に入る前は、ものごとの流れの大枠や外枠、フレームをいかに把握できるか、そして受験校のレベルが高くなればいかに操作できるかが問われていた。

大学を出る頃には、そういったものごとの流れの大枠や外枠、フレームをいかに把握した上で操作できるか、ようするに説得力を持つかが問われている。
(もちろんそれだけではないが。)


なんだか面白いなぁと思った次第である。
大学にもうかえれって言われたからこの辺で切り上げちゃう。

以上。