彼氏が欲しい女とインターネット


「彼氏欲しいから料理ブログつくった」 http://t.co/MXA0kwOk (まめ速)というまとめブログの記事を読んだ。
この女性は23歳、いわゆる喪女、つまるところモテない女である。詳しいことはwikiにあるのでその辺を参照に。(http://ja.wikipedia.org/wiki/喪女 )
実はこの女性のインターネットの使い方がとても素敵だなぁと思い記事を書くにいたった。この女性そのものが素敵かどうかはわかりかねるが、この女性のインターネットの使い方は個人的にとても好感が持てる。スレを見ていてもなんだか良い人そうなのは十分伝わってくる。(同時にダメそうなのも伝わってくるが、それはご愛嬌。)



http://blog.livedoor.jp/momesi/ (喪飯ブログ)

そしてこれが彼女のブログなのであるが、なんともまぁダメそうなご飯の数々である。始めた頃なんて自炊と呼べるのかどうか怪しいものまである。それでも、最近はかなりマシになってきていて、時々見に行く自分も不思議とホッとしている。※やっぱりフライにマヨネーズはちょっと心配だが。

さて、「彼氏が欲しいから」という理由で始まったこのブログ。見てみればわかるが、彼女からの一方的な発信(記事の更新)はあれど、コメントに答えたり、コメント欄に登場するといったコミュニケーションはない。もちろん、彼氏がいない年頃の女性がブログなんていう公開日記みたいな行動をすれば、どこからともなく嗅ぎつけて彼女の欲しい男性たちが集まってくる。それはインターネット上においては日常茶飯事である。そりゃぁもう出会い系サイトだけでなく、ブログだのSNSだの2ショットチャットだのそこらじゅうで行われている。どうしようもなく日常茶飯事である。
そもそも、彼氏が欲しいのであれば、ブログでもSNSでもなんでもいいのでえっちな写メやら捨てアドやらを晒し、男性を集めて、その中から選び出せばいい。そうすればいろんな人がネットを使う今の世の中、そりゃぁもういろんな人が集まるのだろう。非常に効率的ではなかろうか。

ところがどっこい、それは本質的ではない。 このブログで彼女が返信を送らない一方的な発信を行うという構造に、実は非常に本質的なインターネットの使い方が見えている。

大体インターネットを「使って」いるユーザーがどれだけいるだろうか。たとえばSNSでの人間関係に疲れてしまうひとがいる。その人は常にソーシャルメディアで自分が誰とつながっているか、自分が誰にどう見られているか、自分のつながっている人は誰とつながっているのか、といったネットとソーシャルメディアが可能にした人間関係の可視化に過敏に反応する。もちろん一度に多くの、それも不確実性に満ちた人間関係を処理するなど人間の脳にはできるはずもなく(だからこそデジタルで行っているのだが)、様々な不確実性について闇雲に考えを巡らせ、精神的に疲弊してしまう。 ぼくが思うに、こういった人はどちらかというとインターネットに使われているといった方がいいと感じている。インターネットという道具によって可能になった、より広い範囲の人間関係の管理という手段が、一部の人々の中では目的となってしまっている。知らず知らずのうちに本末転倒に陥ってしまい、しかもそれが最近はリアルタイムだのつぶやきだので実生活に密着してしまっているからタチが悪い。
何かやろうと思いつつ、自分は何だと考えつつ、それでも周囲(ネット上)の目を気にしてしまい、何もできずに悩み苦しみ続ける。インターネットという道具に自分の活動を規定されてしまっている。

インターネット上に「彼氏が欲しい」と書き込んで、彼氏を作るのは本質的ではない。 Easy come easy goとも言うべきか、簡単に手に入れたものは簡単に無くなってしまう。それでいいなら手間のかからない方がいいが、いやしかし彼氏はどうだろう。恋人というのはそんなに簡単にポッと出てきてポッとどこかへ行ってもらっても困る気がする、いや困る、個人的には。もし超絶ビッチでサイフもしくはイチャイチャ相手が欲しいだけとか、友達に恋人がいるってウソついちゃったからちょっと彼氏のフリして、(漫画では見たことあるけど、実際そんなのあるのかね?)みたいなもんだったらいいのかも知れない。 けれどもそんなんそもそも恋人じゃない。

っていうか、今回は恋人云々ではなくて、いかにインターネットを道具として自分のためになるように飼いならすかというおはなし。

彼女のすてきなところは、インターネットの力で彼氏を作ろうとしたのではなく、インターネットの力で自分を変えて、自分の力で彼氏を作ろうとしているところにある。料理ブログに関しても、ちゃんとコメントを見ているんだかいないんだかのぶっきらぼうな更新をホイホイ繰り返すのみ。せっかく男がきてもシカトをぶっこむ始末。それでもちゃんと見ている人間は見ていて、コメントなんかを残したりする、そしてそのほとんどが彼女を応援するものだったりする。
応援されるブロガーっていうのが最近増えてきたと思う。もちろん最初からいたっちゃいたけど、有名人やすごい人なんかではなく、そこらへんの引きこもりが本気で東大を目指していたりする。※ちなみにこれはちょっとガチで自分も応援している(http://ameblo.jp/vipdetoudi/
ほかにもきっと小さな物語はたくさんあるのだろう、ぼくがそこまでいろいろ見て回れていないだけで、ブログを使ってがんばっている人は数多くいる。
そこでがんばってしっかりできてる人っていうのは、もちろんだけど「ブログをがんばる」のではなくて、「ブログを使ってがんばっている」。


喪飯ブログに話は戻るが、きっとこの女性もそういう人間の一人なのだと思う。確かに料理は上手とはいえないし、気の利いた配膳をするわけでもない。言ってしまえばそのへんの男子より女子力が低い。それでもここまでコツコツ一年間やってきた。実際に料理の腕も(ちょっと)上がった。最近は2ちゃんねるでスレが立ち、コメントやファンが多くなったが、あのぶっきらぼうなスタイルは崩さない。毎日の更新を楽しみにしてコメントを残したりする住人は「野菜を食え」や「スーパーの惣菜は少なくとも皿に移せ」「テーブルが汚いからなんとかしろ」といった叱咤を飛ばしつつも、ちょっとがんばってきれいな料理を更新した日には「やればできるじゃん」「おいしそう」と素直にほめたりもする。また、ブログという双方向性の情報発信ツールを使っておきながら、更新者のコメントのレスのない片思い構造かと思いきや、意外とコメントのアドバイスを取り入れたりしている。そうやってなんだかんだフォロワーシップを構築し、今後も続いていくのだと思う。



そしてたぶん、この女性には彼氏ができる。


いつになるかはわからないけど、少なくともそのきっかけにはなるはずである。
一種のライフログとして、自己管理のツールとして使い始めたこのぶっきらぼうなブログは、しっかり彼女の中で生活の一つの軸として機能しているのではないかと考える。

このままではダメだと思い立ち、自分を律し、よりよくするために周りの人の声を聞きつつ、叱られつつ、励まされつつ歩き出す。その轍はきっと本人の中でかけがえのない思い出になるだろうし、それを見ていた人々の間で語り継がれるだろうし、そしてこれから歩き始める人たちの指針になるのかもしれない。
そういうすてきなインターネットの使われ方を、久々に見つけて胸が躍った10月の半ばでした。

※全体的に美化し過ぎなのは認めますハイ。

とりあえずこんなもんで。とりあえず放置Yeah。