「学生と社会人の違いって何ですか?」と聞かれたらこう答える。

「学生と社会人の違いって何ですか?」



「それは”残り時間”の捉え方だと思う。学生は積み上げ型。社会人は切り崩し型。」



もちろんまだまだ未熟者ではあるけれども、一応3ヶ月ほど社会人としてそれなりに会社のあれやこれやで機能し始めてきている今日この頃。

自分の担当取引先もあり、達成すべき数字もあり、いろんな仕事や取引、交渉、企画の提案に戦略相談・提案などに対応していて、いまきっと自分の中で学生であった頃の自分が死にかけて、新しく社会人としての自分が構築されているのだろう。

朝は早く起きなければならないとか、何が何でもその日に終わらせるべきことが終わるまでは帰れないとか、金曜日のワクワク感とか、あっという間に結構な額がたまってしまう・使ってしまう金銭感覚とか、そんなところで。



そしていま、ちょうど、表題の問いかけに答えるとしたら、こう答えるのだろう。

「それは”残り時間”の捉え方だと思う。学生は積み上げ型。社会人は切り崩し型。」



学生の頃には時間なんてとてもたくさんあった。無限かと思うくらいに生活のひとつひとつが間延びしていて、あれもこれも「ベストなときに、ベストな状態で」やるもんだと思っていた。
そのための準備(という名のよくわからない惰眠や惰性やその他無駄と呼ばれる時間の使い方)に膨大で冗長な時間を割いていたように思う。実行している時間が学生時代と比べると相対的に少なくて、そう見えるのかもしれないけど。

結局その「ベストなときに、ベストな状態で」が来なくてなんにも行動しなかったりなんてこともざら。

それでもいいんだと、ある程度未来を見据えて「ああいうふうになりたい」なんてものがあれば、大学生のなかでも平均点以上なのかもしれない。

なんて言ったって僕らには時間がある、有り余る時間がある。お金はないけど、別に新幹線じゃなくたって青春18きっぷでいいじゃないか。1時間半で行こうが10時間で行こうが、京都は京都だ。
終電がなければタクシーじゃなくて、コンビニでビールでも買って飲みながら歩いて帰るのもいいじゃないか。
家に辿りつけばいいんだから。

なんて言ったって時間がある。



残り時間に対して、学生は積み上げ型なのだ。

毎日の、ひとつひとつの無駄な積み重ねが、いつか未来に描いた(あるいは描かれなかった)自分を作り出す。
そうやって毎日を過ごしていく。



それに対して社会人はどうだろうか。
社会人は切り崩し型だ。その日のうちにやらなければならないことが決まっている。
一日のなかに「仕事」という大きな時間ブロックがある。
もちろん朝から晩までぴったり忙しいわけではなくて、その隙間隙間に物理的に時間リソースはある。あるんだけど、ほんの15分とか1時間とか、そんなくらいになる(職種によって全然違うけど)。

んじゃどうするか、社会人はケツを決めて残り時間を切り崩していく。
納期や締め切りがあり、それ以降はない。
そこから逆算をする。
たとえば今日17時から取引先の新規事業に対して戦略の提案を行うとする。
ともなればまずはゴールの設定を行う。アウトプットはどんなかたちにしたいのか、打ち合わせが終わった時、相手はどんな状態であるのが理想的か。
そこからストーリーを描く。どうすれば現在位置からそのアウトプットまでたどり着けるか。

それが済んだら今度は現状の把握を行う。
取引先の内部であったり、市場であったり、ユーザー・クライアントについてだったり。よくわかんないけど。
ヒアリングでもデータでも、とにかく見漁って情報を集める。
その後プランについて仮説をたてる。
こうすればああだ、ああすればこうだ、そしたら向こうはこう言ってくるだろうか。
そしたらこれを提案しよう。という仮説や反論つぶしを行なっておく。

とかまぁまぁやることはたくさんあって、そんなかで17時までに形にするのであるから
「あれこれを何時までにどの状態にしておかないといけない」というのをひとつひとう決める。

嘘みたいに聞こえるかもしれないけど、これをやらないと「間に合わない」という大事故につながる。
なのでほとんどの作業でやる。特に複数行程が発生するものに対しては。

そしてこれでやってることって、結局「残り時間を切り崩して考える」っていうこと。



学生と社会人とでは、求められているアウトプットが結構異なっていて、
そもそも学生に明確なアウトプットを求めてたっけ?っていうところもあるんだけど、
ほとんどの社会人という生き物は納期や数字、アウトプットという「ケツ」から考える。
ケツと現在地のズレやギャップ、位置関係を把握して毎日せかせかと働いているのである。

自分に「こうなりたい」みたいな明確な目標をもったとき、学生と社会人の時間感覚は異なる場合が多い。


学生はそのゴールへいろいろ積み上げて何とか届こうとする。
社会人はそのゴールからいまを切り出し、そのズレを修正していく。

「え?じゃあ学生も社会人みたいに切り崩し型にしたほうがいいんじゃないの?無駄も少ないし!」


「その無駄な色々がどれだけ重要か知ってるかバーロー」

その人の個性やキャラ、言ってしまえば個人としてのバリューはそこに「どんな無駄があるか」で出てくるんですよ。


別に新幹線じゃなくたって青春18きっぷでいいじゃないか。1時間半で行こうが10時間で行こうが、京都は京都だ。
いや違う、その8時間半のなかにいろんなものがつまっている。
そう、その無駄で非生産的でなんの得にも損にも、毒にも薬にも、地位にも名誉にも、お金にもならない時間や体験、

それが”学生時代”っていうやつの正体だと思ったんですよ。


なんちって。
以上。